エミールにたどり着くまで

自分が父親になり早3ヶ月間が経ち、娘は体重が出生時の2.5倍になり、謎の言葉を発するようになるなどすくすく成長しております。

まだ3ヶ月だと本人ができることは限られているので自分が娘に与える影響も限定的ですが、これから自由に動き出して意思疎通ができるようになるとその影響は大きくなっていきます。

その成長が見られるのは楽しみと思う反面、こんなに他人の人生に影響を与えることもないので責任を感じる側面もあります。

別に手取り足取りいろいろ教えてやらねばと思ってはおらず勝手に成長していくものと思って入るのですが、完全に無為自然な状態を作り出すことはできずどうやっても自分の趣味嗜好が入ってしまうものです。

そんな思いを持ちながら最近ハマっているコテンラジオの教育の歴史を聞いていて、

話の中で近代教育の古典としてルソーのエミールが紹介されていました。

自分が受けた教育では、「エミール」という単語は「小説風教育論である」ということしか学びませんでした。

中身を学ばずになんの意味があるんやと思いつつ、まぁ確かに学生時代に内容を教えられてもなんのこっちゃやったやろうなと思います。

娘が生まれて自分が教育なるものを実践せねばならない立場になった今、この本にとても興味がでて満を持して読んでみました。

読んだと言っても一部を抜粋して解説がされている以下の本を読んだまでです。時代背景の説明がないと理解できないと思ったので。

『ルソー エミール シリーズ世界の思想 (角川選書 1005 シリーズ世界の思想)』永見 文雄

https://bookmeter.com/books/18383149

この本を読んで感じたことをツラツラと書いてみようと思います。

中学生までは理性が眠っている

エミールにおいて1歳までの乳児期、1歳から12歳までの幼児期、12歳から15歳までの少年期は事物との物理的関係で自己を認識しており、理性は眠っているとされています。

それに対して15歳から20歳の青春期に入って他者との道徳的関係で自己を認識し、20歳から25歳の思春期において他者との社会的関係で自己を認識し、子どもから大人へ移行するとされています。

この定義によると今の日本の中学生まではまだ「他者」をちゃんと認識できていないということになります。

子どもと接するにあたって、大人が暗黙的に守っている社会的ルールを押し付けるのはアンフェアなのでそうならないように気をつけたいなと思っていましたが、案外それを気をつけなければならない期間は長いのかもなと思いました。

最初らへん感覚めちゃ大事

人間は生まれながらにして感覚器官を備えており、この器官を通じて外部の刺激を受け止めることによって感覚が形成され、人間の形成とは専ら感覚を出発点とする認識の発達である、とルソーは考えています。

この考え方にはとても共感できます。

人間が何かを判断するときに判断材料があればあるほど外界の事象を加味した判断ができますが、その判断材料は知覚することで初めて手に入れることができます。いくらものの考え方を教えたとしても、何も知覚できていなければ意味がないのです。

あれ何これ何と質問される時期が来ると思うのですが、変に現代の大人が共通認識として持っている科学的知見や社会的通念を持って説明せずに、何だと思う〜?とか言ってあるがままを知覚してもらうのがいいのかなと思ったり。

時間を無駄にするのが教育

ルソーは「子どもの教育とは、時を稼ぐために時を無駄にすることを心得ていなければならない仕事なのだ」「自然の働きに逆らうことになるといけないから、自然に代わってあなた方が手を出したりする前に、長い間、自然の働くままにまかせておくのがよい。子供時代は理性の眠りの時期だということを考えるがよい」としています。

私は小学生時代に、柔道、水泳、エレクトーン、英会話といろんな習い事をさせてもらってためになったので、自分の子どもにもと思っていたのですが、ルソー的には違うようです。

本人が望む習い事はさせたいですが、ただ遊びたいのであれば遊ばせるのがいいのかもですね。

幼児期においては勉強は不要

「どんな勉強においても、表現される事物の観念がなければ、それを表現する記号には何の意味もない」にもかかわらず、人々は子どもにこの記号だけを教えて、それが表現する事物を教えることはできていない。したがって、子どもは単に知識を詰め込むだけの勉強は子どもの判断力を育てない、それどころか駄目にする、ということになるそうです。

小学生時代の道徳の授業とかがこれにあたりそうですよね。教訓っぽいことを含んだエピソードを全員で読んだりしてましたが、確かに都度その教訓を読み取って理解していた気はしないです。

観念が必要ないただの計算とかならやらせてもいいのかもですね、それも本人が望めばですが。

まとめ

ツラツラ書こうと思ったんですが、幼児期で終わってしまいました、その後の少年期からも面白かったので気になる方は読んでみてください。

最後将来を誓ったソフィーとの定住地を探す話が出てきて、都会を離れた自然な穏やかな生活が大事とされていて、それは実践できてますルソーパイセンとなったりもしました。

1995年から私が受けてきた教育には何の不満もなくとても感謝しているのですが、失われた30年にどっぷり浸かっていて社会の変化に対応できていなかった感も否めないです。

2024年になった今、教育に変化が求められているようになりましたが、自分からは今も昔も変わらない大切だと思うことを伝えていきたいです。