みなさん自分の仕事には意味があると思っていますか?
社会的に必要なさそうだが、お金のために意味があるように見せかけていませんか?
私は2020年に社会人になって4年経ちますが、やっと経済、特に資本主義に基づいた経済というものがどのように回っているかがわかってきました。
- 世の中のあらゆるモノや実体のないコトまで商品化されている
- 大企業とは安定した収益を得る仕組みを持っている企業である
- お金を借りたら増やして返すのが当たり前
- マーケティングとは本来存在しなかった顧客の欲求を駆り立てる性質がある
- 経済は成長し続けることが前提となっている
などの、学生時代では文字面でしかわかっていなかったことが実感を伴ってくる感じです。
資本主義経済への理解が進むにつれて労働の捉え方に対してもだんだん変化がでてきました。
学生時代には塾チューターのバイトから始まり、塾講師、レストラン、居酒屋、ゲーム会社での開発、神社の年末年始警備、ボールボーイといろんなバイトを経験しました。
ただ学生時代は仕送りをもらっているため義務ではなく、バイトはあくまでも得られる経験、楽しい仲間、おいしい賄い、小遣い稼ぎのためでした。
学生時代が終了すると、平日8時間労働する社会人スタイルが主流になるので、長いものに巻かれるべくサラリーマンになりました。
バイト時代との大きな違いとして、お金がないと生活していけない現代においては、既に結婚し子どもも生まれた今、労働によりお金を稼ぐことは権利ではなく義務になりつつあることです。
もう一つの大きな違いとして、自分のためだけではなく社会への恩返しを意識して働いている点です。
私が学生時代に享受してきた教育によって培われてきたITの分野において日本に役立てないかと考え、前職はヤフー、現職はグラファーに所属し、例えば業務効率化のためのプロダクト開発において一定役割を果たせてきたと思っています。
ただ生成AIが台頭してきた今、エンジニアのただコーディングするだけの役割なんかは不要になりつつあり、十数年後ずっと同じ仕事をしているとは到底考えられません。
そこで育休を機に改めて仕事の社会的意義について考えたく、農業とかにも興味を持ち始めたりしていて、以下の動画に出会いました。
この動画で紹介されているデヴィッド・グレーバーのブルシット・ジョブという本が、若干タイトルで釣られている感もありますが気になり、読んでみました。
週15時間労働はなぜ実現しなかったのか
1930年、ジョン・メイナード・ケインズは、20世紀末までにイギリスやアメリカのような国々ではテクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう、と予測したが、それはまだ達成されていない。むしろ、テクノロジーは私たちをいっそう働かせるための方法を考案するために活用されてきたと指摘します。
確かにこんだけ技術が進歩していれば働く時間って減っても良さそうですよね〜、なんで減っていないんでしょうか。大量生産大量消費のせいだとされることが多いようですが、グレーバーはそれも否定します。
無意味な仕事がでっち上げられている
グレーバーによると、それは無意味な仕事がでっち上げられているからだそうです。著書においては、それをブルシット・ジョブと名付け、取り巻き、脅し屋、尻拭い、書類穴埋め人、タスクマスターの5つに分類しています。
無意味な仕事というのはこの世には存在するとは思っていましたが、人類学者が指摘するような社会問題になっているとは思っておらず驚きました。
ブルシット・ジョブの定義
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている。としています。
社会的意義を客観的に測ることは困難であるが故に本人の主観を尺度としてるのが面白いですよね。またマフィアの殺し屋なんかを除外するために取り繕う条件を入れたり、詐欺師なんかを除外するために有償である条件を入れたりしています。
まとめ
自分はITの仕事に携わっていますが、捉えようによっちゃあ実は書類穴埋め人に仕事を助けるために業務効率化のプロダクトを開発しているだけで、その人を助けたところでまた新たな書類穴埋め作業が生まれるのかもしれないと思ったりしました。
周りの医療や教育などのエッセンシャルワーカーとして働いている人たちのほうがよっぽど社会的意義のある仕事のように見えます。
みなさんの仕事はいかがでしょうか?